仕事のことについて書いてみようと思う。
私は公務員として働いている。
志したのは小学生高学年の頃だったように記憶している。志した理由は2つ。
1つは、日本のまちづくりや政策に携わる仕事がしたいと思ったから。公共の福祉、皆の幸せのために働くなんて素敵な仕事だと思った。その思いは今も変わってない。世界のために働きたい人、日本のために働きたい人、目の前にいる人のために働きたい人、自分のために働きたい人、大きく分けて四つのタイプの人間がいるとしたら、私は日本、日本人のために働きたい人間だと思っていた。海外旅行が大好きで海外に興味があるが、でも別に海外の人のために働きたいわけじゃない。日本を良くしたい、海外に行っても日本の文化を伝えたい、日本人をもっと知ってほしい、その思いの方が強いのだ。
もし今、自分の仕事に悩んでいる人がいたら、自分は何のために働きたいのか考えてみても参考になってよいかもしれない。
そんな理由で小学校高学年頃から公務員として働きたかった。中でも日本の政策や文化を世界に発信する仕事に強い憧れを抱いた。公務員の中でも比較的そういう分野に進むのだが、詳しい話は少し置いておいて。
少し話がそれたが、日本のために働くことができる数あるお仕事の中で、じゃあなぜ公務員を選んだのか、というところである。
選んだ理由のもう1つは
公務員に不信感があったから。である。
もちろん小さな頃から不信感を持っていたわけではない。
最初のきっかけは、小学生のとき習い事の先生になりたい仕事を話した時、公務員になりたいだなんて情けない、安定を求めてるの?と言われたこと。である。
今思うと、その先生は公務員に強い嫌悪感を持ってたんだろうね。幼心には、なんで自分の夢に対してそんな風に言われないといけないのかと思った。安定なんて求めてないし、私は公共の利益のために働きたいだけなのに、と思ったのを強く覚えている。
でも中学生、高校生、大学生となるにつれ、公務員に対しての世間のイメージを知った。
安定、横柄、非効率的、税金使って、、、。
あまりいいイメージは聞こえてこなかった。
自分の感情にも変化が生じた。
自分の働いたお金から、毎月税金とられるのか、、、
ちゃんと使ってくれよ。
公務員、嫌いだな。
憧れは不信感に変わった。
でも、こうも感じた。
この日本のために働く人がそんな風に思われて不信感をもたれているのはかなり非健全な状態ではないかと。
憧れ、夢にしていた私まで、そう思うのだから、他の人はもっと不信感あるのかな。
なんか、日本の将来に対して漂う閉塞感?の根本みたいなものでもあるように感じた。(私はそう感じた)
汗水たらして働いたお金から税金をひかれるんだから、ちゃんとした人に使ってほしいし、日本を良くしてほしい。そうなってないと思うから、公務員への不信感、日本社会への閉塞感があるのかなと。たしかに、実際に本当にちゃんと使われていないなら大問題だ。
前置き長くなったけど
そんな思いの変化を経て、私が出した結論は
うん、公務員になろう。
であった。
公務員になって、本当にそうなのか、
そうなら変えたいし、私は、
あぁこの人が公務員なら、自分の税金使われてもいいな
って思ってもらえる人になる。
外から言うんじゃなく、中から見てみよう。
推測じゃなくて確かめてみよう。
不信感漂う公務員じゃなくて、自分が小学生の時に憧れた公共の福祉のために働く公務員になってみよう。
そんな理由で、約15年働いてきました。
次回は、実際になってみて大切にしていることなどを書けたらと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。